第二話 鯨尺

その夜、夢を見た。

私は岩の上に立っている。

周りは黒潮の海だ。

荒れている。

眼前に姿を現した一頭の鯨。

でかい。

が、鯨にしては小さい方なのか?

私は鯨に詳しくなくて、種類もよくわからない。

黒く大きなその背に人を乗せている。

男だ。燕尾服を着て口髭を生やしている。

(昼の正礼装をモーニングコートというが、燕尾服は夜の正礼装のこと。ちょっと違う。)

男は大口を開いて笑っている。

全身びしょ濡れで、何がそんなに楽しいのか、波しぶきを受けながら鯨の背に乗り、

座ったり立ち上がったりと、せわしなく動く。

滑って落ちないのか。うまく乗りこなしている。

 

あの男、どこかで見たことがある。

そうだ、弥生ちゃんのお父さんだ。

弥生ちゃんとは、私と同い年で、小学校の時の同級生だ。

彼女のお父さんには数回会ったことがある。

口髭を生やした、ちょっと西洋かぶれ風の変わった人だったなあと思い出す。

鯨の上の男とは、どこか違う気がしないでもない。別人かもしれない。

しかし、既に・・・

私の頭は弥生ちゃんに糸をかけ、手繰り寄せ始めていた。

 

弥生ちゃんは私と同じ姓で、石尾弥生という。

私の名は石尾如月だから、同じクラスになれば必ず出席番号が並ぶ。

私の後ろが弥生ちゃん。

 

同じ姓だが親戚ではない。

二月生まれだから「如月」と名付けた私の親と

三月生まれだから「弥生」と名付けた彼女の親は

どこかしら似通った思考法の持ち主だったかもしれないが。

 

長身でオカッパ頭の私と、

小柄で、長い髪を三つ編みにして両耳の脇に垂らした弥生ちゃんとは

見た目が違い過ぎて見間違われることなどなかったが、

姓が同じなために、男子たちには「石尾大」「石尾小」と呼び分けられたりもした。

教師の中には「石尾二月」「石尾三月」と呼ぶ者もいて

酷いネーミングセンスだと思ったが

本人はいたって真面目な様子であったから、

案外、冗談のつもりはなかったのかもしれない。

 

ザッブーン!

と、大きな波が私の体にかかる。

そうだ、海の夢だった。

私は岩の頂上に這い上がってみたが、波から完全には逃れきれそうにない。

 

弥生ちゃんのつながりから、思わず小学校時代に意識が入りかけていたが

また海に戻された。

相変わらず髭の男は楽しそうに鯨乗り、いや鯨とともに波乗りをしている。

大声で笑っているようなのだが、波の音が激しすぎて、男の声が私にまで届かない。

髭の男は、私を海に誘っているかのようにも見える。

鯨の上は楽しいぞ、と。

しかし、私は足がすくむ。荒れ狂う海は恐い。

鯨に乗って楽しんでいる髭男を、羨ましいとも思えない。

私は、恐いのだった。

 

 


目が覚めた。

朝だった。

猫は先に起きて、廊下でニャーと鳴いている。

コトリ、と押し入れで物音がした。

襖を開けてみたが、特にこれといった怪しい物影は見当たらない。

もしも鼠であれば、猫が放ってはおかないだろう。

 

私は布団をたたんで押し入れにしまった。

ふと押し入れ下段の隅に、長めの物差しが横たわっているのが目に入る。

立てかけてあったはずの鯨尺が倒れたらしい。

先ほどの音は、その音だったかもしれない。

そうに違いないと、一人合点する。

 

母や祖母は着物を縫ったが、私は洋裁しかしない。

和裁は今後もする予定はないから、鯨尺は不用品だ。

それでも、年季の入った鯨尺は捨てるに忍びず、

押し入れの隅に立てかけたままにしていたのだった。

 

メートル法を使う洋裁と違って、和裁では「尺」を使う。

また同じ「尺」でも、曲尺(カネジャク)より一尺が長く、

曲尺の一尺二分五寸が鯨尺の一尺に相当する。

 

そこまでは私も知っていた。知識として。

しかし、鯨尺という言葉の由来までは知らなかった。

てっきり普通の尺より長い(大きい)からだと思い込んでいた。

何気に辞書を引いてみると、全然違った。

 

「昔、裁縫用のものさしを鯨の髭で作ったことに由来する。」とある。

驚いた。

 

鯨の髭・・・か。

昨夜の夢が思い浮かぶ。

鯨に乗った髭の男。

 

うちにある鯨尺は当然のごとく木製だが、

なんとなく夢との関連性がないとも言えない。

いや、やっぱり、ない。

いや、あるのか?

モヤモヤした気持ちも、朝の洗濯や掃除をしているうちにどこかに紛れてしまった。