「私の」平成が終わった

一昨日から頭痛が始まって、今日で三日目。

昨日が一番きつかった。今日はだいぶマシになってきた。

 

頭がズキーン、キーン、ギ~ンとなりながら、

昨日、不意に「私の」平成が終わっていたことに気づいた。

「私の」平成だから、他の人には何の共感も示すことはできない。

 

でも、共感を得るために書いているのではないから、

そんなことはどうでも構わない。

ただ、じゃあ何故書くのかという疑問が私に突き刺さるのだが、

考えてもわからなかった。

「私の」平成に何があったのか、全部話せる相手は自分のだけなのだと思う。

だから全てを文字にしてここに書くつもりはない。

 

しかし、どうにも書き留めておきたいという衝動があって、

その衝動に従って書き始めた。

非公開のツイートや紙の日記に書いておけばよさそうなものを、とも思ったが、

そちらはそちらで詳しく書くとして、今は指の赴くままに綴っていく。

 

 

 

平成元年に、印象深い夢を見た。

カゴに入れられた赤ん坊が家の前に捨て置かれていた。

カゴには男の赤ん坊と手紙が一通。

手紙はロシア語のような文字で、意味不明のところがほとんどだったが、

一部はっきりと読み取れるところがあった。

それは脅迫文だった。

 

 

「この赤ん坊を息子として育てよ。成人したらその子と結婚せよ。そして子をなせ。このことは誰にも知られるな。さもなくばお前の命はないと思え。」

私は、何者かに絶えず見張られている恐怖でいっぱいになった。

手紙にあった通り、義務感から赤ん坊を育て、

大きく育ってからはその子と結婚し、二人の男の子を儲けた。

 

 

二十年以上にわたる生活が夢の中で続いた。

私は疲れ果てた。恐怖と義務感しかない子育て、家庭。

 

夢のラストシーンは、親子四人の記念撮影だった。

何がそんなに楽しいのか、満面の笑顔の三人と、

少し離れた位置に、ひどくやつれた顔の私が、カメラに写された。

 

 

シャッターが押される(シャッターは自動だったのか、他には誰もいなかった)瞬間に、まるで手品のように、私以外の三人はカツラを被りドレスを着て女装してカメラにおさまった。

できあがった写真を見た。私を含めて四人が写っている。

楽しそうな三人と、どっと疲れてやつれた顔の私。

三人は、父となったかつての捨て子を頂点にして

子ども二人がその下段左右に三角形のフォーメーション。

父親(かつての捨て子)が両手を広げ、二人の子どもの肩に手を置いている。

私だけが、それを拒むように逃れるように、ちょっと離れて写っている。

 

そこで目が覚めたのだが

目覚めの直前に、無理矢理ねじ込むように男の声が聞こえた。

声は夢の外から中へと入ってきた。

つまり夢の中の登場人物(夫役の捨て子と二人の子ども)とは違う声だ。

天からの声のような感じ。

声はこう言った。

「これが本当の愛だよ」

 

こんなものが本当の愛なら、それを受け入れたとき私は死ぬなと感じた。

 

 

 

汗びっしょりで、ハアハアと呼吸も荒く、

とても寝たとは思えない疲れ方だった。

 

そんな夢を見てスタートをきった「私の」平成も終わり

この夢の意味するところが徐々にわかってきた。

 

そして、昨日、「私の」平成もやっと終わったのだなと感じた。