「アメリカ育ちの頭の中は何語?って聞いたら、意外な事実が発覚...!!」
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この動画で、ケビン(動画中、向かって左)の言ってることに、
めちゃハッとさせられたのでシェアしま~す。
普段は、言葉にする前の「思考以前の何か」
みたいなのが意識されずに
瞬間的に言語化されているので気付きにくいのですが
割と大きめの「思考以前の何か」が塊で浮かんだ(入ってきた、降りてきた、湧いてきた)時は
それを解凍して言語化するのに、けっこう時間がかかるので、
そのことに気付きやすいですよね。
普段は、あまりにもスムーズに瞬間的に言語化されてしまっているから
自分で考えているように思ってしまいがちだけれど。
私たちは無自覚に、「思考以前の何か」を言語化することを
「思考・考える」だと思ってしまっているということでしょう。
そして、この「思考以前の何か」にはどうやら二種類あって、
一つは、感覚器官で捉えた刺激に反射的に反応するという、
いわゆる自我プログラムに則った反応を強いる「何か」で
日ごろ、あまりにも馴染み過ぎて気付かないタイプのものです。
もう一つは、浮かぶのは一瞬なのに、言語化するのに時間がかかるような、
「刺激に対する反応」とは明らかに違う「何か」です。
言い換えれば、「怖れ」がデフォルトになっている状態で受け取る時と、
「愛」の(心が開いた)状態で受け取る時との違い、とも言えるでしょうか。
どちらにせよ、「思考以前の何か」を自分で「意図して考える」ことは不可能ですね。
できることは、気づくこと、自覚すること、
そしてゆだねることだけかもしれません。
これまで一般的に思われてきた思考は、「思考」というよりは反応であり、
それを瞬時に言語化することで「自分の思考」と思い込んでいただけなのでしょう。
本当の思考というものがあるのだとすれば、
それは「愛」から送られてくる非言語のメッセージを
表現したものなのかもしれません。