ペリカンを見ていた男

 

なんで僕があの大学に行ったのかって?

 

そりゃあ、学力的にちょうど良かったからってのはあったけどさ。

でもね、そんな理由なら、

他にもちょうどいい大学はあるからね。

 

やっぱりね、ペリカンだよ

ペリカン。

 

君の頭上に、クエスチョンマークが飛んでるね。

 

じゃあ、ペリカンの話をしようか。

あ、いや、ペリカンを見ていた男の話をね。

 

男は大学生だった。

男が通う大学は、なんと、動物園の隣にあった。

大きな動物園じゃない

ちっちゃな、ちっちゃな動物園さ。

 

たいして珍しい動物もいない。

狐とか、タヌキとか、ポニーとか、兎とかさ。

さすがに、犬や猫は見なかったけど

わざわざ見に行くほどの動物はいなかったんだよ。

 

キリンとか象とかパンダなら

入場料を払う価値ってもんがあるだろうけど

そこの動物園には、そんな動物は一種類もいなかったよ。

実を言えば、入場料も無料チケットだったから

構わないんだけどね。

 

そこを訪れる人は、

駅までの近道の一つとして、通るついでに動物が目に入ったって程度さ。

日曜なら、小さい子供連れの家族もいたねえ。

なんったって無料だから。

 

そうそう、ペリカンの話だった。

 

動物園の中に、小高い丘があってね、

そこに小さな池があるんだ。

ペリカンはそこにいた。

 

そして、ペリカンを眺める男もそこにいた。

一日中いるわけじゃない。

大学の講義が終わってから、とか

講義と講義の間が離れた隙間時間とかにね。

 

「暇つぶしにここに来るんだ」

って、男は言ってたよ。

 

彼は、べつだん変わった風ではなかった。

ごく普通の大学生の身なりで、

顔つきも身のこなしにも怪しさはない。

 

とにかくペリカンを見に来る、

ただそれだけだったらしい。

 

僕は彼の横に座って、ペリカンを眺める彼の視線に

自分の視線を合わせようとしてみた。

駄目だった。

どうしても、気持ちは彼を見てしまう。

目はペリカンを追っているにもかかわらず。

 

その時の僕は高校生で、

学校をさぼって一人電車に乗り・・・

いや、違う

登校の途中、降りるべき駅で電車を降りずに、

そのまま電車に乗り続けて

ふと目に留まった駅で

なんとなく降りてみたんだ。

そして知らない町をぶらぶらとね。

制服のままでさ。

誰にも咎められなかったのが幸いだったよ。

 

その内、入場料無料の動物園に行きついて

入ってみたってわけさ。

 

不思議と、動物園特有の獣臭さはあまりなくってね。

自販機で買った缶ジュースを飲もうと

丘の上に登ってみたら

そこにいたんだ。

ペリカンと、

ベンチに座っている男が。

 

彼は僕を見ると、軽く会釈して優しく笑った。

僕は引き付けられるように、彼の横に座った。

 

僕はまず自己紹介をした。

学校をさぼってることに、多少の罪悪感はあったからさ。

彼は開口一番こう言ったよ。

「たまには学校をさぼるべきだ。情緒の安定を図るためには。」って。

彼は、訥々とだけれど

いろんな話をしてくれたな。

彼が大学でやってる研究のこととか、他にも他愛無い話をね。

 

その一つ一つを、僕は覚えていないけど

その時の彼の横顔や、柔らかいまなざしは忘れられない。

そう、その時だよ、僕が、大学に行こうと思ったのは。

この人が行ってる大学に行こうって。

そうして、この人のように、ペリカンを見に来るんだって。

 

その時、僕は高校2年生で、彼はもう大学4年生だと言ってたから

僕がもしそこの大学に入学したとしても

彼はいないだろうけど。

そんなことは構わないと思った。

ペリカンを見る大学生、悪くないじゃないか。

そんな近未来の自分が、なんだか頼もしく思えたんだよ。

僕が大学4年生になる頃には

なんとなく、彼と同じ視線を自分の中にも持つことができる気がして。

 

そう、それで僕は今日もペリカンを見に来ている。

 

あ、いや、2年前まで、ここにはペリカンがいたのさ。

動物園が取り払われて、ただの広い公園になったもんだから

ペリカンも、他の動物たちも、今はここにいない。

 

でも、確かに、この位置からペリカンは見えたんだよ。

君にも見せてあげたかったな。

 

僕は今でも、見えないペリカンを見にくるんだ。

もうすぐ卒業だから、あと数か月のあいだはね。

 

「見えるものは、見えないものを見るための窓だ」

彼が僕に言ってくれた言葉だよ。

 

彼はこうも言ってたな。

「聞こえる音は、聞こえない音に触れている」

 

懐かしいな。

君のおかげで、僕も彼を思い出せた。

ありがとう。

学校をさぼってここに来てくれた、君のおかげだよ。

 

また会おう。

ペリカンの前で。

2021/1/2