家はどこに消えた?

1. 母の入院と堤を走る少年

 

少年は毎日、川沿いの堤を自転車で走る。

それほど大きな川ではないが、

堤には桜の木が川に沿って植えられていて

春には、桜並木がとてもきれいだ。

川面に映る桜木と、豪勢に舞い散る花びら。

のどかな田舎の春の小川。

 

しかし、少年はその季節を知らない。

少年が毎日自転車で走る堤は、

五月の空に始まり、梅雨を超えて

草いきれのする夏までで終わる。

 

 

少年の母が病気になって手術を受けなければならなくなった。

それが5月のこと。

子宮筋腫というらしい。

母親が入院したのは、川沿いに建つ産婦人科病院だった。

一月ほどで退院できる予定だったが、思いのほか長引いた。

 

少年の家は母子家庭で、

幼い頃に離婚した父親のことはほとんど覚えていない。

兄弟姉妹もいなかったから、

母の入院中、少年は一人暮らしをすることになってしまった。

 

少年は中学2年生である。

多感な年ごろだ。

最初(母の入院の日のことだが)

入院のための荷物を持って産婦人科病院に入っていくのが

ひどく苦痛で、躊躇われて。

でも、黙って両手と背中を荷物でいっぱいにしながら

自分の姿が荷物で隠れればいいと願いながら

目を瞑る気持ちで、息も殺す気持ちで

黙って産婦人科の門をくぐった。

 

母は優しかった。

母はいつでも少年に優しかった。

翌日には手術の予定。

そんな自分のことより息子を気遣って

何度もありがとうとお礼を言い、

母さんは大丈夫だから、と笑顔を見せたものだ。

 

母は入院中、息子の世話を自分の妹に頼もうとしたのだが

少年が強く断った。

母の妹は、少しばかり遠い町に住んでいる。

家族もいる。夫と小さな従姉妹たち。

末っ子はまだオムツの取れない赤ん坊だ。

 

学校に通うのに、1時間の電車通学になってしまうことや

数日程度ならまだしも、何週間も他人の家で過ごすのは

少年にとってかなり窮屈なことだったのだ。

 

心配する妹夫婦(少年にとって伯母夫婦にあたる)には

時々様子を見に来てもらう、ということで話がついた。

 

そんなわけで、少年は

学校の帰り道、母の病室に向かう毎日となった。

休日は別として。

 

べつだん、必ず寄らなければならないわけでもないが。

母も、それを強要もしないし、

むしろそんなに来なくていいと言うくらいだったというのに。

 

少年は、川沿いの堤を自転車で走ることが、

ちょっとだけ楽しみのような、

しあわせな気分に浸っている自分に

少しだけ気が付いていた。

 

自分の他に誰もいない家で

一人で過ごす夜もまた、楽しかったのだ。

 

自炊も、少年にとって何の支障もなかった。

得意中の得意と言ってもいい。

小学生の頃から、母の仕事が遅くなるときには

ごく当たり前のように料理していたし

食器洗いや掃除、洗濯はお手の物。

母子家庭という環境が、少年の才能を引き出した

と言えなくもない。

 

一人で作り、一人で食べる夕飯。

家ごと一人の空間。

一人で過ごす夜という時間。まるで異空間への扉が開いて、どこまでも伸びていけそうな気がした。

少年は、そこに「やさしさ」のような

一人だからこその「ぬくもり」、自分の体温を感じていた。

 

だから、逆に

一日に一度くらいは母のところに行っておかないと

なんだか申し訳ないような

自分一人の楽しみを満喫しきれないような

そんな気持ちになったのだ。

 

最初、あれほど苦痛だった産婦人科病院の中に入るということも

三日めには慣れた。平気になった。

そもそも少年が向かうのは外来(つまり診察室)ではなく

入院病棟だ。そこには、男性の見舞客だって普通にいる。

子どももいる。

せっせと母を見舞う少年の姿は、

看護師たちにも

同室の入院患者たちにも温かく受け入れられた。

 

その日も、少年は堤を走る。

学校から病院への往き道と

病院から家までの帰り道に。

川風を受けながら。

 

 

 

2. 建築中の家と、それを観察し続ける少年

 

川沿いの堤から町に降りるには、

似たような下り坂の道が何本かあった。

 

その日、少年は、いつもとは違う坂道を下ってみた。

別に理由というほどのものはない。

なんとなく。

方向さえ間違えなければ、必ず町に入れることはわかっている。

全く知らない道というほどではない。

むしろ、これまで毎回同じ道を辿っていたことの方が不自然に思えたのだ。

その時は。

 

坂道を下りきって路地を右に折れたところで

少年は左手に、家の基礎が敷かれた土地を見つけた。

 

ここに家が建つのだなあと、その時はただそう思い

通り過ぎただけだった。

 

翌日もそこを通った。

そのまた翌日も。

 

毎日そこを通るうちに、少年は気が付いた。

ここにどんな家が建つのか、無性に気になっている自分に。

 

一軒の家が建つのにどれくらいの期間を要するのか

少年は知らない。

 

今住んでいる家は古い借家だ。

もしも、いつか自分が家を建てるなら

などということも考えたことさえなかった。

まだ中学生なのだからそんなものだ。

目の前に起きる出来事の中で、

その時その時を精いっぱい生きるのが子どもというものだ。

 

しかし、その土地(正確にはその土地に建ちつつある建築物)を

毎日見続けるうち、なんだか少年は「未来」・・・

いや、いまだ来ていない、けれど確実に来るであろう

その現実の種のようなものを感じていた。

建ちつつある家を見続け、完成まで見守ることが

自分の未来の種への確認作業のような気がしていたのだ。

 

少年の感覚では、その家はみるみる内に出来上がっていった。

 

日ごとに変化していく家という建築物の内部。

一日に一度しか見ないため、

アナログ的にその変化を観察することはできない。

極めてデジタル的に、一枚一枚のフィルムをファイリングするように

変化の様子を目に焼き付けていった。

 

家とはこんなふうに建つのか、と

細かいところに毎度感心しながら、少年は一日一度

家が出来上がっていく様子を確認するために

そこを通るのが日課になっていった。

 

建築物としての「家」の内部・・・

(見えない内部のことだ。

間取り、部屋などの空間のことではなく。)

が、どんな順序で、どんな物を使って、どんな風に成り立っていくのか。

 

既に建ってしまっている家からは決して見えない内部を

今なら逐一見ることができるのだ、というように。

 

 

 

3. 消えた家

 

棟が上がり、外壁ができ、屋根には瓦も乗った。

完成はまだもう少し先だろうが、

外観はほとんど出来上がっている。

平屋の、それほど大きくはない木造の日本家屋だ。

内装がどこまで進んでいるのかは、道端からは見えない。

 

母親が退院する日、少年はもういいかな、と思った。

この家が建つ様子を毎日見にくるのは

今日で最後にしようと。

 

明日から母親の病院に行くこともないのだし、区切りがいい。

家も、ほぼ完成したとみていいだろう。

これ以上は、そこの住人か大工と知り合いにでもなって

中に入れてもらわない限り

進展状況を見ることはできないのだし。

 

その頃には少年の、その家への執着も半ば薄れていた。

中学二年の夏休みに入る直前のことだ。

 

 

それから3年の月日が経った。

少年は高校二年生になっている。

学校帰りに蕎麦屋でアルバイトをする毎日だ。

母親もすっかり元気になり、

喫茶店のパートタイムで働いている。

 

少年は(そう、まだ少年と呼ぶに相応しいギリギリの年齢だ)

時折、懐かしく思い出す。

3年前に母が入院中だったころ、自分一人で過ごした夜のことを。

当然、朝も一人、休日は一日中一人だった日々を。

 

友達がいないわけではなく、

むしろ学校では大勢の友人たちがいたのだが

親が留守だと知れば、押しかけてきそうな連中が多かったから

一人暮らしのことは誰にも話さなかった。

そんなことを知ったら、毎夜のように

誰かれとなく友人知人が集まってきて

相手をしなければならなくなる。泊まり込む奴だってきっといるはずだ。

それだけは絶対に避けたかった。

 

無事に最後まで満喫できた一人暮らしを

少年は懐かしく思いおこした。

 

5月の末、良く晴れた月曜日のことだった。

数学の授業中、窓際の席に座り

何気なく空を見ていたら

少年の脳裏に、唐突に、あの家のことが思い出された。

あの頃、無性に気になったあの家だ。

毎日のように建築現場を見に行ったけれど

どうしてそこまであの家が気になったのだろう?と

自分でも不思議な気がした。

 

そうだ、今日、行ってみよう。

うまい具合に、バイトも休みだ。

 

少年は、久しぶりにあの川沿いの堤を自転車で走り

五月の午後の空気を胸いっぱいに吸いながら

懐かしい気持ちで勢いよく坂道を下った。

 

この筋だ。

覚えている。

そしてここを右に、そしたら左手にあの家が・・・

ない。

 

え?

道を一筋間違えたか?

 

もう一度堤に戻って、別の坂を下りる。

しかし、家はない。

 

考えられる限りの道筋を試してみた。

が、どこにもそれらしき家はない。

まだあれから3年しか経ってない。

別の家に建て替えられたとは思えない。

というよりも、最近建ったような新しい家など一軒もなく

どれも年季の入った古い家ばかりなのだ。

 

嘘だろ?

そんな馬鹿な。

あり得ない。

 

少年は、焦った。

冷や汗が出る。バクバクバク。心臓も高鳴る。

 

何が起きているのか?

夢でも見ているのか?

それとも、あれが夢だったのか?

一人暮らしの間に、少年は自分の脳内に

一軒の家が建っていくという幻想を作り上げて

その記憶を現実の記憶と混ぜてしまっていたのだろうか?

 

いや、違う、違う。

絶対に違う。夢なんかじゃない。

幻想なんかじゃなかった。

本当に、見ていたんだ。

家が建っていく経過を。この目で。確かに。

 

中学生の時、あの家のことは誰にも話さなかった。

一度でもいい。誰かと一緒に見に行っておけばよかったと

少なからず少年は悔やんだ。

 

いや、いや、いや。

最後まで、本当の完成まで、見届けるべきだったのか。

どんな人が住むのか、住人の顔をチラとでも見るまで

通い続ければよかった。

 

どこをどう探しても、その家は見つからなかった。

日が暮れ始めた。

少年は落ち着かない気持ちのまま帰宅した。

 

結局、そのことは母にも、誰にも言わずに

自分一人の胸の内に秘めておくことにした。

現実というのは、案外もろいものなのかもしれない。

それとも、現実を認識する脳、記憶の方が

当てにできないほど脆弱なのか。

 

並行世界だとかパラレルワールドだとか

SFで語られるようなことが

自分の身にふりかかるなんてことは

とうてい認められるものではなかった。

 

少年は、このことに関して、自分自身に沈黙を課した。

そうして家路を急いだ。

 

 

 

4. 母の再婚話と少年の転機

 

あの家のことは考えないようにしようと、そう決めたものの

どこか落ち着かないままに

少年は帰宅した。

 

自宅前に、見知らぬ車が止まっていた。

来客か。珍しい。

母が友人と会う時は、たいてい仕事が休みの日の昼間、

外でランチするのが普通だ。

 

ちょっとばかり訝しみながら玄関を開ける。

ただいまの声に、すぐさま「おかえり」の返事がある。

いつもより心持ち明るい母親の声がする。

 

少年はそのまま自分の部屋に直行しかけたが

居間に呼ばれた。

 

男性が座っていた。

穏やかそうな物腰の、中年の男性。

軽く頭を下げて、にこやかに少年に挨拶した。

少年もこんにちはと返す。

 

このシチュエーションは、すぐに見当がついた。

 

一年ほど前から二人の交際は始まっていたらしい。

なんとなく少年も勘づいてはいた。

あえて何も聞かなかっただけで。

 

母親が幸せそうにしていることに、

息子として何の文句があろうか。

少年はそんな風に考える子どもだった。

小さい頃から。

 

二人は結婚を考えているのだという話だった。

男性の方には子どもはいないらしい。

最初の結婚後、子どもができない内に離婚したということだった。

年内に籍を入れ、出来れば早く家に入ってもらいたいと男性は言った。

急ぐわけではないが、と付け加えながら。

受験勉強の忙しい時期に引っ越すより、今の方がいいだろうと言うのだ。

 

来年は少年も高三になる。

母親は息子に大学への進学を希望していた。

少年の成績が、かなり良かったためだ。

家庭の事情で進学を断念するようなことがあっては

息子にすまないとでも思っているのだろう。

しかし、少年自身は就職するつもりでいた。

なにも、勉強は大学に行くためだけにするもんじゃない。

高校は行きたかったから、行きたい高校に行った。

大学は行きたくないから行かない。

それだけのことだ。

親への遠慮などは、そのことに関しては微塵もなかった。

 

大学に行かせてやりたい、そのために再婚するというなら

少年は母親に対して腹を立てただろう。

しかし、それは杞憂だった。

 

母親は息子に、自分の考えや期待を押し付けることは

これまでも一切なかった。

ただ、口に出して確認し合ったこともなかったから

互いに胸の内を出し合ったことで

少年も母も、これまで以上に打ち解けることができた。

母の交際相手の男性も、母子の話にじっと耳を傾けながら

時折適切な助言をするのだった。

 

ああ、この人なら「父さん」と呼んでもいいかもしれない。

少年はそう感じた。

 

男性は3年前に家を建てたのだそうだ。

まだ少年の母親と出会う前のこと。

両親が相次いで亡くなり、それを機会に

古い家を壊して新しく建て替えたという。

 

その後で二人の出会いがあった。

まるで妻を迎え入れる準備でもしていたかのようで

不思議なものです・・・と男性は言った。

 

少年は男性に、二人の結婚には大賛成であること

でも、自分は母親にはついていかず、

このままここで一人暮らしをしたいという旨を伝えた。

一人暮らしには実績があるのだ。

 

男性は笑って、

結論は急がないから

一度家に遊びにこないか、近いうちに

と少年に言った。

 

もちろん、行きます

と少年は応えた。

 

 

 

5. 家はそこにあった(家という場所)

 

ここまでの流れで、読者のみなさんは

もう勘づいていらっしゃることだろう。

 

そう、母親の結婚相手が建てた家こそ

あの家だったのだ。

 

3年前に少年が毎日のように通い、見続けた

あの家そのものだったのだ。

 

ただし、場所が全く違った。

少年が後から「そんな家など無い」ことを確認したように、

記憶にあるあの場所、

すなわち川べりの堤から降りてすぐの路地を曲がったところには

やはり、なかったのだ。

 

では、その家はどこに建っていたのかというと

隣町の、全く別の川沿いの堤の下だったのである。

 

そう言われれば雰囲気は似ている。

堤から降りる坂道が何本もあるあたりとか。

 

一体、3年前のあの頃、

少年に何が起きていたのか。

それはわからない。

空間がねじれてでもいたとしか思えない。

母親が入院する産婦人科からの帰り道

どんな具合か知らないが

隣町と一部つながっていたのだろうか。

バイパスみたいに。

 

そういえば、その頃

少年は、しばしば考えるともなく考えたものだった。

母の子宮のことを。

手術で摘出された子宮のことを。

 

母の子宮は、自分がこの世に産まれ出る直前まで

少年にとっての家だったと言えなくもない。

 

一個の卵細胞(それはあたかも細菌のように見える)に

一匹の精子(こちらはウイルスさながらで)が入り込み

情報を書き込んで、一つの受精卵となる。

 

細胞分裂を繰り返したのち

それはそれは永い永い生物の歴史を反復し

魚類も、両生類も爬虫類も哺乳類も体験し直して

幾度も生命の、絶滅の危機にさらされながら

進化し続けて、ヒトになっていった歴史、の反復。

どこにも綴られることのない実質的歴史。

それを守り、育んできた子宮が

病に冒され、摘出された。

 

オギャーと世に出てしまった肉体にとって

子宮はもう、帰るべき家ではないが。

だからと言って、それが無くなるというのは

なにか妙な気分がした。

 

母の子宮は、摘出と同時に消えたのではなく

徐々に消えゆくかげろうのように、

未来の記憶を、数か月にわたって

少年にもたらしながら去っていったのかもしれない。

 

良い夢こそが現実である、とでも言いたげな

そんな母の子宮。

 

もちろん、当の母親は何も知らない。

 

家を建てた男も、少年がその家を「知っていた」

などと思いも寄らない。

 

後に父親になる男性の家を初めて訪ねたときの

少年の驚きは言葉にしようもないが

それまで頑なに一人暮らしを主張していた少年が

その家を見たとたん、すんなりと引っ越しを承認したことは

母を最大限に喜ばせることになった。

 

月日は流れ、少年は少年とは呼べなくなり

結婚もして、その家を出た後も、

いつまでもいつまでも

その家こそが自分の帰るべき場所だという

確信を持っていた。

たとえ二度と戻らなかったとしても、だ。

家はそこにある。

朽ち果てたとしても、永遠にそこにある。

そんな、根拠もなく馬鹿げた確信が

彼を幸せな気持ちにさせ続けるのだった。

 

2021/6/13