石抜き術師、慎也

1.森の魔女と石抜きの術

「まただ・・・」

魔女は低い声でつぶやいた。

 

何度やっても同じこと。

カードは「柩」ばかりが続けて出る。

 

何かを葬るのだということはわかる。

しかし何をどう葬ればよいのか、がわからない。

 

先日依頼のあった「石抜き」は、

もうずいぶん昔にすたれてしまった術なのだ。

「どうしたものか・・・」

 

とは言ったものの、魔女は少しも気落ちなどしていない。

むしろこの壁にぶち当たった現状を楽しんでいるかのように見える。

 

さて、ここで若干の説明が必要だろう。

魔女とは?

石抜きの術とは?

 

詳しいことは話の流れの中で追々わかってくるとしても

ひとまず簡単な説明だけはしておかねばなるまい。

 

魔女は、とある森の奥深くに住む「人間の女のなりをした存在」である。

本当のところ、女とも言い切れないし男とも言い切れない。

どちらでもあるがどちらでもない。

もっと概念的な存在なのである。

喩えて言うなら、アニマとかアニムスのような。

彼女(便宜上「彼女」としておく)は、森の外部の人間から依頼を受けて

問題の解決の手助けをする。

薬を調合したり、処方箋を授けたりするのが彼女の、いわば仕事である。

 

石抜きの術とは、家系に関わる問題解除方法の一つ。

どの家も基礎の下に、石が据えられていて

建て替えの時ならずとも、代替わりの時には

必ずのように石の魂を抜いて清純にしなければならないとされる。

それを怠ると、親の因果が子に報い・・・のような形で

良きも悪きも、無意識下で

膨大な記憶が代々受け継がれてしまうというわけだ。

どの家にも、その家なりの病理が潜んでいるのは

口に出さずとも誰もが承知している。

 

石抜きの術は、特殊な術師でなければ行えない。

平たく言えば「その道のプロ」の腕が必要なのである。

それは石抜き術師と呼ばれる。

そして彼らは、石の魂を純化できる

「生まれつき持った才能」を開花させた者たちのことである。

 

令和の時代に、そんな技術集団がいるのかと問われれば

当然「否」と応えるしかない。

昔は親方を初め、見習いまでの十数人が一組の集団で

暗躍していたとされるが、今となっては資料も残されておらず

必要とされたとしても、探し出すのは不可能に近い。

そもそも、彼らが必要とされる時代は、とうの昔に終了している。

いや、本当は、今も変わらず必要なはずが

他の方法に取って代わられた。

そう、カウンセリングを初めとする西洋風の精神医学的アプローチもあれば

ヒプノセラピーなどのスピリチュアル畑で行われるブロック解除もある。

連綿と続く家系の問題を、個人で引き受ける形で解決に導く方法だ。

分離が行きつくところまで行きついて、

「個」が全てを内包するという発想以外に、

次の道はないと思われる時代だ。

そんな時代の到来とともに、石抜きの術は社会から忘れられてしまった。

 

さて、話は魔女に戻る。

 

三日前、魔女のところに依頼の手紙が一通届けられた。

森に住む烏のバーサが、依頼人から預かったものだ。

烏のバーサは、森の外と内を行き来できる

数少ない動物の一つなのだ。

 

バーサは、魔女の家の窓枠にとまって魔女を見ている。

 

「さあ、どうしたもんかねえ。バーサや。」

バーサはグアーと一声鳴いて、バサバサと飛び立った。

2.術師、慎也

暗闇の向こうで目覚まし時計が鳴っている。

慎也は耳を澄ました。

 

目覚まし時計と書いたが、実際は何の音なのか

慎也にはわからない。

電話のコールのようにも聞こえる。

 

慎也にわかることは

自分は起きなければいけないということと

誰かが呼んでいるということだけだ。

 

慎也にとって「起きる」とは

あの術を再び使うということであり

「慎也を呼ぶ誰か」とは、あの術を必要とする人を指す。

 

あの術とは・・・

慎也がとうの昔に封印した「石抜きの術」のことである。

 

暗闇の向こうで鳴る目覚まし時計の音、

あるいは電話のコールは、

慎也の他に聞く者はいない。

聞こえないはずの音が聞こえ、そのトーンから意味を読み取ることが

石抜き術師の基本の技なのだ。

 

慎也は幼い頃からその能力を発揮し、

失せ物探しや当て物を易々とこなした。

ただ、石抜きの術に関しては、然るべき師について

先天的な能力を確実なものへと開花させていかなければならない。

 

慎也の兄もまた、その能力を持って生まれ、

慎也より早く石抜き術師の集団に入って修業していた。

兄から慎也に誘いの声がかかったのは必然の成り行きだった。

 

石抜きの術は(他の術にも言えることではあるが)、

一つ間違えれば自分の身が危うい。

ただの失せ物探しや当て物とはわけが違う。

修業を積むうちに、慎也は怖ろしくなっていった。

自分の能力が、ではない。

人が持つ闇の深さに。

 

一つの石の魂を抜くごとに、その石が吸い込み溜め続けた

人間たちの闇が慎也に襲い掛かる。

それが幻影であると、親方からさんざん叩き込まれても

幻影の迫力は本物であった。

 

慎也は石抜きから足を洗うことにした。

石抜きだけでなく、全ての術を封印することが、

石抜き術師の集団を抜ける唯一の条件だ。

何も難しいことではない。

親方も、よくあることだと同意してくれた。

そうして慎也はごく普通の一般企業に勤める

ただの青年となった。

いや、術師集団に属していた頃も、

社会人として生きる顔も持っていたから

顔が一つになったというだけのことだ。

 

兄とはそれ以来会っていない。

もう十年になる。

 

昨夜から聞こえ始めた「音」は、

そんな慎也を呼び覚ますコールに違いないのだ。

 

だが、慎也は術を封印した身。

音を辿って発信者を確定するには、まず封印を解く必要がある。

 

困った。

今更兄に連絡するのも躊躇われる。

 

しかし、執拗に音は鳴り続ける。

 

ついに慎也は、目を覚ます決意をした。

再び石抜き術師に戻るのに、誰の許可も要らない。

集団に属さねばならないという法則もない。

罰則もない。

集団に属していれば、そのネットワークを活用できるということと

自分一人きりで術に挑む恐怖心をやわらげることができる

というぐらいのものだ。

 

もちろん、一人前になりさえすれば、の話だが。

慎也はすでに一人前の術師だったのである。

 

慎也は静かに立ち上がった。

両手を広げ、術の姿勢に入る。

音を手繰るのだ。

3.邂逅

慎也は森に向かった。

自分を目覚めさせる音、自分を呼ぶ音を

ただ辿り、ただ歩いた先が、森だった。

 

私有地なのか、国有地なのか、わからない。

樹海で迷う危険性もある。

 

しかし、それは杞憂というものだ。

さっきからずっと、一羽の烏が慎也の頭上を飛んでいる。

その烏は、案内人にふさわしく、

慎也が迷いそうな時だけ「グワー」と声を上げるのだ。

 

やがて、慎也の前に、森の奥には不似合いな一本道が現れた。

もうよかろうとでも言うように、烏はバサバサと大きく羽ばたいて

道の先へと飛び去った。

 

音源がかなり近づいている。

もうすぐだ。

道の向こうに、一軒の小さな家が見えた。

家の前に、一人の女が立っていて、慎也を見ている。

老婆のようにも見えるが、若いようにも見える。

子どもでないことだけは確かだ。

 

慎也は足早に近づいた。

 

「ようこそ、森へ。」

 

足を止めた慎也に、女は開口一番そう言って笑った。

 

「烏が案内をしてくれたので。」

慎也も笑って応えた。だから迷わずに来れたのだと。

 

「バーサっていうんだよ。」

ほら、と女は窓枠を指さした。

烏が窓辺に留まってクルクルっと目玉を回した。

 

「私は・・・名前がないから、どう呼んでもらってもいいけど。

それじゃあアンタが困るだろうから、一応ヤンと名乗っておこう。」

 

女は、見方によっては老女で、

その言葉使いはまさに老女にふさわしい。

なのに、なぜか、声と体つきには若々しさというのか

瑞々しさがみなぎっている。

不思議な女だった。

 

「それではヤンさん。あなたが私を呼んだ、ということでいいんですね。」

 

「ああ、もちろん、それでいい。アンタをここに呼んだのは私だよ。」

 

「僕のことはもう知っている、ということでいいですね。」

 

「それも、もちろんだ。それでいい。」

 

女は続けて言った。

 

「アンタは石抜き術師の慎也。

数々の石の魂を抜いてきた。

もう少し正確に言えば、石が吸い込んだ人間の執念、怨念、欲望を

純化してきた。

それが人間にとっても石にとっても良いことだと信じて。

しかし、石抜きの際に自分に降りかかる闇の対処に耐えきれず

石抜きから足を洗った。」

 

「はい。大雑把に言えばその通りです。

それで、そんな僕にあなたは今更どんな用があるのでしょうか。」

 

「アンタ、もっと力を抜いておくれ。

言葉遣いを、そうだね、

独り言を言う時のようなしゃべり方にしてくれないか。」

 

そう言われて慎也は、自分がカチカチに硬くなっていたことに気付いた。

 

「なるほど。独り言か・・・。

つまり、あなたという存在は僕の内部的存在だということか。」

 

「察しがいいね。

わかったら、中に入ってくつろいでおくれ。

話はその後だ。」

 

女は扉を大きく開いて中に入り、慎也を招き入れた。

慎也が一歩中に足を踏み入れたとき、軽い眩暈のようなものが起きた。

空間が、変化した。慎也はそう思った。

 

気が付くと、扉の外では聞こえていたあの音が、すっと消えている。

目覚まし音、呼び出し音は、もう用を終えて消えたのだ。

 

4.依頼人

「こいつはすげえや。」

慎也は部屋を見回して驚いた。

女は満足そうにうなずいている。

 

木製のテーブルに、木製の椅子が二つ。

奥には木製のベッドが見える。

棚に飾られたたくさんのガラスの壜の中には、

おそらくアルコール漬けのハーブ。

大きな暖炉と竈。

高い天井には天窓もある。

隅に大きな机があり、机上には文具も揃っている。

書棚も立派なものだ。

古い本が並んでいるが、おそらく中身は全て手書きと見た。

 

ゆったりとした配置で、全ての家具が佇むように置かれている。

 

「くつろいでおくれ。自分の部屋だと思って。」

 

「ああ、言われる前にそう思っちまったぜ。

ここは俺の部屋みたいだ。いや、俺が居るべき場所だ。」

 

慎也は椅子に腰かけた。

座り心地の良さに、慎也はうっとりとなって目を閉じた。

 

「味わっておくれ。存分に。」

 

女も、テーブルを挟んで慎也の向かいに腰掛けた。

 

「こんな便りが届いたのさ。」

 

慎也は目を開けて、テーブルの上に女が差し出したものを見た。

それは一枚の葉っぱだった。

中央に美しい玉のような雫が乗っている。

 

「バーサが届けてくれてね。

私はここで長いこと魔女をやってるけど

久しぶりの本格的な依頼だったよ。

アンタなら、この葉っぱに刻まれた言葉の意味を読み取れるだろう?

こういう依頼を、私は受けたんだよ。

わかるかい?」

 

女は慎也をまっすぐに見た。

 

「ヤンさんは魔女って設定なんだな。了解した。」

 

そう言って、慎也は左手でそっと葉っぱを引き寄せた。

葉っぱに乗った透明な雫がわずかに揺れる。

 

「こりゃあ驚いた。雫だと思ったら、石じゃねえか。

金剛石か?・・・いや、水晶?・・・いや、違う。

何だこれは?

完璧な球体。磨かれた跡がない。人工石でもない。

見たことのない石だ。」

 

「ああ、この世に存在しない、名付けることのできない石なんだよ。」

女は含み笑いで慎也を見る。

 

「この石の魂を俺に抜いてほしいということなんだな。

ヤンさん、あんたは石抜きできないのか?

魔女なんだろ?」

 

女はにんまり笑っている。

 

「俺を呼ばなくちゃならないほど難しい仕事だってことか。

それにしても、この石には

抜かなきゃなんねえような情念は入ってねえぞ。

完全な純だ。誰かが抜いた跡さえねえよ。

これは、穢れを知らぬ石だぜ。」

 

「石のことばかり言ってないで、

その葉っぱの文字を読み取ってみたらどうだい?」

 

そうだった。つい習性で石に目がいってしまっていた。

 

慎也は集中して葉っぱの葉脈を指先で辿ってみた。

慎也の顔色が変わる。

 

「なんてことだよ!」

慎也は叫び声をあげた。

 

葉っぱに託された想いを読み取った慎也は

自分自身を疑った。

葉っぱには、石抜き術師、慎也を解き放ってほしいという

願いが込められていたのだ。

 

「依頼人が誰だか、わかるかい?」

 

慎也は首を傾げた。

わからない。

俺の事情を知っている人間だよな。

親方か?

兄貴か?

いや、あり得ない。

 

俺は石抜きから手を引いたんだ。

もうあの闇からは解放されている。

 

キーーンと耳鳴りがする。

何か出てきそうで出てこない。

 

キーーン・・・

耳鳴りの向こうで、うっすらと

「知っている・・・俺は知っている・・・」

そんな声が聞こえる。

 

「アンタにはわかっているはずだよ。

あとは認めるだけさ。」

 

女の声で、気が遠くなりかけていた慎也に

力、エネルギーのようなものが戻ってきた。

 

耳鳴りが細く小さく、遠くなる。

5.涙のしずく

慎也は、自分の鼓動を耳の奥で聞いた。

ドク、ドク、ドク

力強い心臓の音が、全身を内側から響かせている。

腹の底に何かうごめくものがある。

内部圧力が増す。

熱い。

その熱い何かが、体の中心を貫くように

背骨に沿って駆けあがってきた。

 

喉のところで炸裂音と共に、ピカッっと光が放たれた。

その熱いものは更に上昇し、

慎也の鼻の奥をつまらせ、目がしらは熱に包まれる。

 

ほろり、と、慎也の右目から一滴の涙があふれ出た。

それは、ダイヤモンドのように光りながら慎也の頬をつたい、

テーブルの上の葉っぱ、そしてその上の石、

そう、葉っぱの上の石・・・水滴のような石の上に

重なるように落ちて、涙のしずくは石を包み込んだ。

 

その直後、両目は、あふれんばかりの涙でいっぱいになり

慎也は両目を見開いて上を向いた。

 

慎也は気づいたのだ。

 

依頼人は俺自身。

この石は、俺の涙の結晶化。

俺は穢れたことなど一度たりともなかったのだ、と。

 

「泣け。」

 

と女が言った。

 

「男が泣いちゃいけないなんて、誰が決めたんだい?

たとえ誰かが決めたんだとしても、従う義理はないよ。

アンタは、正しく泣けばいいのさ。正しく、ね。」

 

それから、慎也は声をあげて泣いた。

体を上昇してきた、あの熱いものをすべて出し切るように。

 

6.葬り弔って、新しく生きる

これまでずっと、潜在意識にうごめく闇ばかり

相手にしてきたんだろ。

人間が持つ深い闇さ。

それを人間の罪深さだと言う人もいるだろう。

欲望、情念、執着、執念、それらが形をとって襲い掛かる戦闘劇で

アンタは何度瀕死の状態に陥ったことか。

どれだけ浄化しても純化しても、キリがない。

いくらでも湧き出てくる、亡霊のように。

 

だけどね、そんな潜在意識なんかより、

ずっと深いところに本当のアンタはいる。

 

アンタがアンタを生き切る以外に

アンタを超える方法はないんだよ。

 

人間が人間として生き切る以上に、

人間を超える道はないのと同じさ。

 

正しく、まっ直ぐに心を受け止めてやりな。

 

そうすれば、怒りも悲しみも喜びも、

正しく涙の結晶を作るから。

 

潜在意識なんかより、ずっと深くて広い

アンタ自身の宇宙に生きるんだよ。

 

封印を解いた以上、アンタは再び石抜き術師だ。

何も怖がる必要はない。

持って生まれた自分の能力を使わずに生きるなんて

愚の骨頂ってもんだよ。

 

いいかい、もう一度言うよ。

潜在意識を相手にする時代は終わったんだよ。

もっと深いところにある、アンタ自身の宇宙に生きるんだよ。

新しい時代の石抜き術師として。

 

女の声を聞きながら、慎也は涙の中で何度もうなずいた。

 

「私から用がある時は、バーサが知らせに行くから

烏には注意を払っとくれ。」

 

女の声が遠ざかる。

 

慎也は泣きながら眠りに落ちていった。

 

目が覚めたとき、慎也は自分の部屋のベッドにいた。

普通なら、長い夢を見ていたと判断しただろう。

しかし、慎也にはわかっていた。

ヤンと名乗った魔女も、烏のバーサも実在する。

ただその形態が通常と異なるだけなのだ。

 

慎也は起き上がってみた。

思っていたより体が軽い。

力がみなぎる、というのとは少し違う。

のびやかでやわらかい筋肉の動きを感じた。

今なら何でもできそうな気がして、慎也は苦笑いをする。

 

動きたくてたまらないのだ。

 

そうだな、まず小手調べに・・・

部屋の改装でもするか。

自分の好きなもの、気に入ったもので満たしてやろう。

居心地よく。

あの魔女の家のように。

 

そうだ、名前も変えよう。

慎也、改め「新也」だ。

新たなり・・・ってとこだな。

 

窓を開けて風を入れる。

向かいの柿の木に、烏が一羽とまって慎也を見ている。

 

「よっ!バーサ。

ちゃんと送り届けてくれたんだな。

俺は大丈夫だ。

ヤンさんによろしく言ってくれ。」

 

カラスは、バサバサっと羽根を鳴らして飛び立っていった。

 

さて、こちら森の家では、

魔女が窓際で、満足そうにヤマネコをなでている。

「うまくいったねえ、リンクや。」

 

葬ることは弔うこと。

完璧にねぎらうこと。

これまでの自分の人生すべてを、

自分で完璧にねぎらうことができたなら

それが弔いだ。

 

正しい涙は、本当の自分を連れてくる。

 

「そろそろバーサも帰ってくるだろうよ。

さあて、次の仕事はどんなだろうねえ。」