「好き」がつなぐもの(リンク)

インターネット上のリンクではなく

本来の意味でのリンク。

連結、つなぐもの。

 

時空を超えて、つながるもの・・・すべて

 

撤去すべきものは、他人そのものではなく

自分だと思い込んでいる他人の価値観。

 

 

 

勘違いのリンクをはずせ

すごく好きだと思っていた音楽、歌声、歌詞・・・などなど

とんでもない勘違いであったことに今更ながら気づいて慌てる。

 

そういうことはこれまでにも、もちろんあった。

その時代の気分に乗せられたというか、踊らされたというか

よくあることだ。気にするほどではない。

 

しかし、だ。

人生を、時代の流れの上にしか見ることができないとき

全てが上記のような勘違いで覆い尽くされる。

 

ストーリーへの思い入れや感動に惑わされて

勝手にコードをつなぎ合わせたことが

これまでどれだけあったことか。

 

 

まさか・・・と思うところに勘違いを見つけて呆然とする。

 

ま・さ・か・・・だ。

 

それはどこまでも続く。

自分を見つけるまでは。

 

 


お勧めの作品たちです。

サリンジャー

 『九つの物語』

 『大工よ、屋根の梁を高く上げよ・

 シーモアー 序章ー』

『フラニーとゾーイー』

 

梨木香歩

 『ピスタチオ』

『家守奇譚』

『冬虫夏草』

『村田エフェンディ滞土録』

『椿宿の辺りに』

 

高田崇史

 『QED』シリーズ

『毒草師シリーズ』

『軍神の血脈』

 

絵・マンガ

倉多江美

『一万十秒物語』

 

青池保子

 『エロイカより愛をこめて』

『修道士ファルコ』

『ケルン市警オド』

 

内田美奈子

『赤々丸』

音楽

Simon and Garfunkel 

 

Keith Jarrett

 『The Melody At Night,With You』

 

The Piano Guys

 『A Thousand Years』

 



シーモア・グラス

 

もっと、鏡を見て!

 

See more glass!

 

 


一万十秒物語

倉多江美『一万十秒物語』という短編集の中に収録されている

『体積』の最後の一コマより

 

  この面で限界

  づけられた空間部分の

  幸福だけは

  晏如とさせたいのです

 

  あの骨董やの

  うす笑いを

  思い出したところで

  仕方のないことです

 

  愛なんてもともと

  エゴの変形なのですから

 

 この面で限界づけられた空間は、部分でしかないのに

それでもそこで晏如とさせたい幸福は、おそらく全ての人間の願うところ。

それは、愛(エゴの変形)と憎しみが同意語である以上

叶わぬ願いでもある。

 

 


『エロイカ』の登場人物ともストーリーとも無関係な、ある場所で

たくさんの本、マンガ、アニメ、映画を見てきたが

この『エロイカより愛をこめて』のシリーズほど

私の夢とリンクしたものは他にない。

 

信じられない話だが、

このマンガに出てくるシーン、背景、などなど・・・

私が夢に見た場所とかなりの確立で一致するのだ。

 

どうせマンガの影響でそんな夢を見たに違いないと言われるのがオチだろう。

しかし、そうは言ってられないほどの的中率なのだ。

なんといっても、マンガを見るより夢の方が先という場合もあったし

もっと凄いのは、マンガが描かれるよりも先に夢を見ていた場合もあるのだ。

 

しかも、重要な意味を持つ夢が、その中には含まれている。

 

最初、そのことに気づいたとき、まさかと思った。

当然、他人に言われるより先に、自分で疑った。

詳細に検討すればするほど、この一致は確かなものだとわかってきた。

 

 

そら怖ろしい気持ちにもなったが

それも過ぎ、

今は純粋にこの漫画を楽しんで読んでいる。 

 

バリバリの猫族、如月のヒーロー『赤々丸』

精神(こころ)が

自由で

あること

のみ

 

強くなるために

生きるために

戦うために

 

象徴としての

赤々丸とは

まさにそれで

あったのだ

(『赤々丸 参拾弐・グッドラック』より)

 


『ケルン・コンサート』ではなく

キース・ジャレットといえば、『ケルン・コンサート』が最も有名かもしれない。

私も大好きなアルバムだ。

でも、夜というものに音があるとすれば

『The Melody At Night,With You』には、それがある気がする。