ある婆さんの話

そうさね、あれは、私が尋常小学校を出て

すぐに奉公した先でのことだね。

 

私は貧しい漁村の漁師の子供でね。

ああ、戦前の話だよ。戦争はまだまだ先の話さ。

 

尋常小学校?・・・

ああ、あの頃は、尋常小学校が義務教育ってやつでね

高等小学校は、誰でも行けるってもんじゃなかったんだよ。

年齢で言うと、今の小学校が尋常小学校、中学校が高等小学校ってとこだな。

私の年代のずっと後には国民学校初等科とかっていってたな。

 

ともかく、私は十四のときに、初めて家を出て都会へ行ったんだ。

数え年だから、今なら十三だ。

お金持ちのお屋敷で、住み込みの女中見習いになった。

そういうのを、当時は奉公って言ったんだよ。

女はだいたい女中、男は色々あったよ。

 

うん、そこのお屋敷には旦那様と若い奥様と、一人娘の二歳の女の子がいたな。

他にも、旦那様のお母さまもいたし、ご兄弟もいたと思うが

私は、その辺の人たちとはあまり関わらなかったから、ほとんど覚えていないけどね。

 

そうそう、他にも奉公人が何人もいたし、家族の料理をするのに板前もいたよ。

大きな商いをしている家でね、人の出入りも多かったな。

 

私の仕事はね、一人娘の子守りでね

その子が、お人形さんみたいな可愛らしい顔で、

肌の色は透き通るように白かったのを覚えているよ。

ただね、可愛らしいのは顔だけさ。

まだ二歳だというのに、その子の癇癪には、もう三日で私は根を上げそうになったほどだよ。

 

おんぶしてほしいって言うから、おんぶしてやったら

私の肩に噛みつくんだよ。歯形がくっきりついたもんだ。

下ろしたら、今度は私の手を噛むんだ。

それを奥様は見ているんだよ。子供を叱りもせずね。

 

「我慢してやってね。」

 

なんて優しい声で私に笑いながら言うのさ。

不思議で仕方なかったよ。親なら、なんでその場で叱らないのかってね。

 

もうそれが、しょっちゅうなもんだから、いつまで辛抱すればいいんだろうって

悲しくなったもんだ。

 

遊んでやっても、ご機嫌にしてるかと思えば急に大声で泣き出したり

その理由ってもんが、私にはさっぱりわからなかったよ。

奉公仲間に相談したこともあったさ。

でも、みんな口を揃えて言うんだ。

あの子はああいう子だから仕方ないって。

誰もあの子の子守りなんてやりたがらない。

私はそれが自分の仕事だったから、毎日色々工夫して

ご機嫌とったり、なだめたりすかしたりしてさ

でも、何も変わらなかったな。

 

そこでは三年近く務めたんだ。

よくまあ辛抱したもんだよ、私も。

でも、その頃は、それが働くってことなんだと思ってのさ。

大人の世界に出るって、もっともっと大変なことがあるんだろうって、

私なんか、まだたかが知れてる方だってね。

 

その子にも知恵がついてきて

言葉をたくさん話すようになるころは、そりゃあ酷かったよ。

自分でこけても、誰々が突き飛ばしただの

自分が壺を落として割っちまったときも、誰々が割っただの

あからさまな嘘ばっかりついてね。

 

不思議だったよ。なんであんな嘘がつけるのかってね。

周りはみんなわかってるんだよ。その子が嘘つきだってこと。

でも、誰も何もしてやらないんだ。

 

変な家だったよ。

 

でもね、だんだんわかってきたことがあった。

奥様が、娘の腕や体を思いっきりつねっているところを

私は見てしまったんだ。

つねるなんてもんじゃなかったよ。もう痣がつくくらいきつくギュウっとね。

子供は泣き叫びもしないで、じっと耐えてる風だったな。

痛かったろうよ。

 

その子の体には、不審な痣がたくさんあったんだけどね

その時やっと私にもわかったんだよ。

奥様が子供を叱れないわけも

その子が嘘をつくわけも、私を噛むわけもね。

 

奉公仲間に聞いた話だけど

旦那様は外に女がいて、子供までもうけていたらしい。

奥様の鬱憤が、自分の娘に向かってたんだね。

外面は優しい奥様なもんだから、他人に知られるわけにはいかなかったんだろう。

 

私が見てしまったことを、奥様は気づいていないようだった。

私はその方が都合がいいから、自分からは何も言わなかったよ。

 

でも、本当は周りのものたち、みんな知ってたみたいだったよ。

 

 

 

あの家で食べた御飯は不味かったねえ。

板前さんが家族の分を料理してたんだけど

私たち住み込みの奉公人は、残りめしの冷御飯を

女中部屋で食べるんだ。

いや、味付けがどうのってことじゃなくて、なんか、寒々としていてさ。

里の握り飯が食べたいって、いつも思ってたもんだ。

 

 

二年目の正月にね、里に帰ったとき、

私はつい、おっかさんに愚痴をこぼしてしまったんだ。

決して言うまいと思っていたのに、ぽろりと出ちまってね。

一言出たら、あとは止まらなかった。

奉公先での話を洗いざらい里の母親に話してしまった。

 

おっかさんは、私の話を聞いてこう言ったもんだ。

そんなところに長くいちゃいけない。人生の大損だってね。

他の奉公先を探してやるから、そこはもう行かなくていいってさ。

 

それで次に行った奉公先が、前のとは打って変わって楽しいお屋敷だったのさ。

 

 

 

旦那さんは大きな病院の院長で

奥さんは、年のころは四十過ぎくらいだったかね。

娘さんが二人いて、もう二人とも私より大きくて

女学校を出て、家で花嫁修業をしているような年ごろだった。

まだかくしゃくとした大奥さんもいて、美容体操っていうのかい?

そういうの、やっててね、私にも教えてくれたんだよ。

 

そんなに大きなお屋敷じゃなかったな。使用人も少なかったし。

いや、前の奉公先に比べたらの話だよ。

住み込みの女中は私一人だったよ。

庭師がいたから、庭のことは掃くくらいしかしなかったけど

家の掃除やら家族の洗濯やらをね、一日があっという間に過ぎていったな。

世話のかかる子供がいないからね、気持ちは楽だったよ。

奥さんはなかなか厳しい人だったけど、嘘の優しさよりずっといいじゃないか。

 

たまには買い物にも連れて行ってくれたよ。町も見ておけってさ。

 

夕飯は専属の板前がやってきて作るんだけどね

私も料理を手伝わされた。

板さんがお休みの日は、私一人でも作れるように、料理をちゃんと習えってね。

それが私には楽しくってね。

それまで見たこともないようなハイカラな料理も作れるようになったよ。

コロッケとか、タンシチューとか、オムライスとか。

包丁や什器の扱いも、そのとき覚えたんだ。

 

食事は、私も一緒に食べたんだよ。

作法も覚えろってさ。

堅苦しいわけじゃなかったから、それも楽しかったね。

自分が作った料理を、目の前で美味しいって言ってもらえるのはありがたいことだね。

とにかく気さくな家だった。

 

お茶とお華の先生が、週に一回、お嬢さんたちのために通ってきててね。

それがさ、私にも習えって奥さんが言うのさ。

とんでもないって断ったんだけど

お月謝はこっちで払うから、お金のことは心配しなくていいって。

あなたもそろそろ年ごろだし、せっかくだから習いなさいって。

そこにいる間に、お茶とお華を習わせてもらって、お免許までいただけたよ。

 

奥さんは、他にも読み書きとかね、いろいろね、

 

そうそう、奥さんは裁縫の先生でね

私にも裁縫を教えてくれたよ。当時は珍しい洋裁も習ったもんだ。

 

私が、尋常小学校しか出ていなくても、難しい漢字も読めて、本好きなのは

あの奥さんのおかげなんだよ。

 

 

 

二十歳を迎える頃、私にも縁談が来てね。

それで、そのお屋敷を辞めることになったんだ。

奥さんは、私の結婚を喜んでくれて

お祝いをたくさんくれたよ。

本当は辞めてほしくないんだけど、ずっといてもらいたいんだけどって言いながら。

 

嬉しかったね。

 

 

 

私はね、両極端のお金持ちの家を、中に入ってこうやって見てきて

つくづく、金持ちにも色々あるってことを知ったんだよ。

 

そりゃ、貧乏人にも色々あるから

結局、人間てものが、色々だって結論になるんだけどね。

 

若い頃に、どんな場所に身を置くかっていうのは

本当に大切なことだ。

 

あの頃の私は、今なら中学生から高校生ぐらいだろ。

学校にも色々あるんだろうけど、

大変な学校もあれば、厳しくても楽しい学校っていうのがあるんじゃないのかね。

知らないけどね。

 

 

辞めたいなら辞めてもいいんじゃないかい。

そんなところに長くいるのは、一生の大損だって、

私のおっかさんが生きていたなら、きっとそう言うね。

 

 

 

あんた、私のひ孫の友達なんだってね。

どんなご縁で、私の話なんかを聞きに来てくれることになったのかは知らないけど

もしも、あんたの心が楽になったのなら、私も嬉しいよ。

 

またいつでも来ておくれ。

私はもう少し、長生きできると思うから

昔の話くらいなら、何度でもしてあげるよ。

 

もう外は暗いから、気を付けて帰るんだよ。

 

2020/12/5