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美味しい水と猫のこと

今年の1月23日午後11時03分

愛猫の玄さんが、静かに息を引き取りました。

 

玄さんのことは、前のHPにフォトギャラリーも作っていましたし

以前のアメブロでも、しょっちゅう記事にしていましたから

覚えてくださっている方もいらっしゃるかと思います。

 

2年前の秋、玄さんは腎臓病を患いました。

病院通いを続け、比較的穏やかな毎日を過ごしました。

亡くなる前日まで、庭のレモングラスに近づいていってました。

彼はレモングラスが大好きだったのです。

 

私は、玄さんが病気になってから

ブログやツイッターに、彼のことが書けなくなっていました。

アイコンも、全て花の写真に変更しました

彼の写真を見るのが辛くて、避けていたのです。
(今はまた猫のアイコンに戻しています。)

 

亡くなった翌日に、どうしようもなく

あふれる言葉をツイッターに書き留めました。

下が、その時のツイートです。

 

それから、毎週土曜の夜(日曜の朝)ごとに

玄さんが夢に出てきました。

それは6週目まで続きました。

7週目、つまり四十九日にあたる夜は

もう彼は現れませんでした。

それはなんとなく予期していたことです。

6週目に見た夢で、ようやく私には気づいたことがあったのです。

 

そのことについて、FBに書いたものがあるので

次に引用して載せます。

 

(以下の文章は、今年の5月にFBに投稿したものです。

FB仕様になっていたので、若干、最後だけ削除修正しました。)

 


今年の一月、愛猫の玄さんが亡くなりました。

日曜日でした。

 

それから毎週のように、日曜日になると夢に玄さんが現れました。

毎回同じような夢でした。

私が寝ているとどこからともなく玄さんがやってきて、

私の腕枕で眠る夢・・・。

 

6週目に見た夢は、いつもとは違いました。

目も口の中も酷くただれて、

ヨロヨロとおぼつかない足取りで現れた玄さんでした。

 

「あなたはもう既に死んでいるから、病院にも連れて行ってあげられない」

 

私は辛くて悲しくて、

やりきれない思いで彼を自転車の前カゴに乗せて走りました。

小学校の校庭まで来ると、

彼は急に自転車の前カゴから飛び降りて

校庭の裏にある空き地までヨタヨタと歩いていきます。

どこに行くのかと思っていたら、

空き地に一本の水道が立っていて、彼はそこに向かっていたのです。

 

彼はその水道の栓を(猫の手で)器用にひねって水を出しました。

脇に小さな器があり、彼はその器に水を汲み入れて飲み始めました。

 

「ああ、おいしい。おいしい。こんな水が飲みたかったんだよ。」

 

彼ははっきりと人語でそう言いました。

 

「そうか、そうか。こんな水が飲みたかったんやね。

生きている間にこんな水を飲ませてあげられなくてごめんね。」

 

と、私は泣きながら言いました。

 

「ええんや。かめへん。」

 

と、彼はその水を、本当においしそうに飲みました。

もう目も口もただれていません。体もヨロヨロしていません。

その水が彼を完全に癒したようでした。

 

 

目が覚めてから、

私は、玄さんが言う「美味しい水」ってどんな水なんだろう?

と考え込んでいました。

「こんな水が飲みたかった」って、どんな水なんだろう?

と思っていた矢先、ヨガをやっている友人からラインが入りました。

 

とてもステキなことがあったのだと、友人は書いていました。

(その友人は、私が玄さんの夢を見て考え込んでいることは知りません。)

 

内容をかいつまんで書くと・・・

 

ヨガのレッスン中に、先生が眠ってしまったのだそうです。

先生の指示の声が聞こえなくなったことで、

生徒さんたちが次々とそのことに気づいていったそうです。

でも、誰も先生が眠ってしまったことを非難せず、

起こそうとする者もいなくて、

口々に「先生の寝顔が可愛い」「先生の寝顔に癒される~」と、

その空間が暖かくてやわらかいものとなり、

みんなでその暖かさややわらかさをしばし共有したのだそうです。

その日のヨガレッスンがとっても素敵だったと友人は書いていました。

 

私はそれを読んで、はたと気づいたのです。

 

美味しい水!

透き通った、特に味付けもせず、香料もなく、自然のままの水。

時に凍り、時に流れ、時に蒸発して空間に満ちる、自然体の姿。

汲めども汲めども尽きない水。

私がそれに気づくまで、

玄さんが6週にわたって夢に出てきていたのかもしれません。

 

その日以来、玄さんが夢に出てくることはなくなりました。

(他の猫たちは出てきますが)

 

ある朝、目覚めた時、

私は自分の尻尾がフルフル揺れているのに気づきました。

尻尾って、こんなふうに揺らすんだって驚きました。

私とともにある猫を強く感じた瞬間でした。

 

何気ない日常の中に、美味しい水はあふれていますね。

私自身もまた、あるがままでいる時、美味しい水そのものなのでしょう。

たとえ時に凍りつくことがあったとしても。

2022/5/20


さて、今日は8月18日。

玄さんが亡くなってから7カ月になろうとしています。

いまだに、思い出すと

胸が痛むこともあります。

でも、その胸の痛みさえ、彼を偲ぶことが許されている証拠のようにも思います。

 

私の両親も、既に他界しているのですが

こんな思いは、玄さんにだけ生じるのです。

不思議なものですね。