小さいころ、家には本がなかった。
難しげな専門書はもとより
絵本も
娯楽小説も
週刊誌や雑誌にいたるまで
一冊も本のない家だった。
辞書さえなかった。
小学校に入学当初、学校で使う教科書は
私にとって貴重な「本たち」だった。
いくつかの忘れられない本が今も私を呼ぶことがある。
小学校の中学年にもなると
学校の図書室が大好きになる。
高学年では
いただいた(お古の)本もそこそこ増え
なかでも
親戚のお下がりの百科事典がお気に入り。
中学校では、国語辞典が
もっぱら私の読書の相手をしてくれた。
高校入学時に、新しい国語辞典を買い
古いのを捨ててしまった。
なぜ捨ててしまったのだろう?
あんなに手に馴染んでいた本だったのに。
こんな風に、「言葉」のとりこのようになってしまった私
どう振り返っても、家の影響、親の影響は微塵もない。
そんなことからも
遺伝というものは、案外ちゃちなものではないかと
子どもの頃から思ってきた。
私を発生させたものは、親ではなく、先祖ではなく
それ以前の記憶に関わる何か、とても重要なもの。