ノボルさんは、坂の下に住んでいた。
毎日、午後のお茶が済むと
決まって、三味線を弾いた。
ノボルさんは、四十過ぎの独身男。
母親と二人暮らし。
普段着は和装。
今なら相当珍しいが
当時も、かなり珍しかったはず。
ただ、その頃の私は
毎日そんなノボルさんを見ていたものだから
和装の男性が珍しいとは思わなくなっていた。
昭和の半ば、
戦後、高度経済成長期に入る直前の頃の話である。
ノボルさんの職業は何だったのか
私は知らない。
なぜかいつも家にいたような気がしているが
それも定かでない。
三味線の音だけが、
ノボルさんが何者であるのかを特定するのに
有効なコマだった気もする。
小一時間ほど
三味線を弾き鳴らし
金毘羅船船が聞こえてくると
本日の三味線は終了の合図。
最後は決まって「金毘羅船船」なのだ。
ある日、ノボルさんは
坂の下から坂の上に引っ越しをした
もう、私の家から見える
かつてノボルさんが住んでいた家は
ただの空き家になった。
三味線の音も、聞こえない。
ほどなく、私も引っ越しをして
金毘羅船船を思い出すことさえなくなっていった。
何だったのだろう?
あの時代そのものが、幻であったように思えてならない。
本当に、あの坂は存在したのだろうか?
和装の男が三味線を弾いていた午後なんてものは
私の単なるノスタルジー的妄想に過ぎない気がしてくる。
脳が映し出す、ホログラフィックな現実という名の「過去」
・・・それを、「記憶」と呼ぶことに
今はやぶさかではない。
2020/12/30